昔の日本橋
日本橋が架かる日本橋川は古くは「湊江(みなとえ)」と呼ばれ、一石橋付近までは深く海水が入り込んでいました。
日本橋川沿いでは魚河岸と四日市が人々によく知られていて、相模、安房、上総、下総などからおびただしい漁船が荷揚げをし、江戸の人々に魚介類を卸していました。
その賑わい振りは「日本橋の朝市は他に類がなく、かの川柳の句に『日に三箱鼻の上下臍の下』と点ぜしは、芝居、吉原、日本橋にて、日毎に三千両づつの金が落ちるといふことなり」(絵本江戸土産)と記されています。
つまり、最大の歓楽街であった芝居町、吉原、最大の商業地日本橋、この3ヶ所で毎日三千両もの金が落とされたといいます。
歌川広重「東海道五十三次」より
「日本橋朝之景」
今の日本橋
今も一大商業地域として栄えていますが、銀行をはじめ事務所が多くなる反面、小売店が少なくなり、夜間(15:00以降)は閑散としているといったイメージになっています。
新宿や渋谷といった街が年々繁華を享受しているのに対し、日本橋地区では小売り、卸売り販売額も近年減少し、昔の書物に書かれているような繁華は見られなくなっています。
今の日本橋の様子